ニュース

SogawaShinichiro
《第7話 》佐世保で過ごした、静かで賑やかな幼少期

《第7話 》佐世保で過ごした、静かで賑やかな幼少期

佐世保での生活は、私にとって最初の「日常」でした。 小学2年生になる頃まで、私は佐世保で暮らしていました。 その頃の父は、料理人として名が知られる存在だったと聞いています。 父のもとには、多くのお弟子さんが集まっていました。 家の中に、大人の男たちが出入りする環境。真剣な表情と、張り詰めた空気。仕事の話と、技術の話。 旅館とは形が違いますが、人が集まり、仕事が中心にある暮らしは、どこか実家と似ていました。 父は多くを語る人ではありませんでした。ただ、背中で仕事をしている人だったと思います。 包丁を握る姿。仕込みに向かう集中した時間。お弟子さんたちとの距離感。 子ども心に、「仕事とは、こういうものなのかもしれない」そんな印象を持っていた気がします。 母は、家庭を支えながら、父の仕事を理解し、その場を整えていました。 両親は、家を出るという選択をしましたが、不安定な暮らしをしていたわけではありません。 少なくとも、幼い私の目には、生活は落ち着いていて、安心できるものでした。 学校に通い、友だちがいて、帰る家がある。 特別な出来事は、あまり覚えていません。 ただ、「守られていた」という感覚だけが、はっきりと残っています。 父は、多くの人に囲まれていました。 尊敬され、頼られ、人が自然と集まる。 この姿は、後になって私の中で一つの基準になります。 人の上に立つというより、人の中心に立つ。 集団をまとめるというより、場を成立させる。 この感覚は、意識して学んだものではありません。 ただ、子どもとして、毎日見ていた風景でした。 佐世保での時間は、短いものでしたが、私の中では、一つの完成した世界として残っています。 このあと、私は再び松浦へ戻ることになります。 守られていた場所から、「家の歴史」と再び向き合う場所へ。 その移動は、当時の私には理解できないまま、静かに起こりました。

続きを読む →


SogawaShinichiro
《第6話 》生まれた後に、家を出た両親の話

《第6話 》生まれた後に、家を出た両親の話

私の両親のことを、ここで書いておこうと思います。 母は、実家の旅館の長女でした。父は、その旅館で働いていた料理人です。 今なら珍しい話ではないかもしれませんが、当時としては、当面歓迎される関係ではありませんでした。 特に、祖父の反対は強かったと聞きます。(昔の料理人は流れ物が多くて職人気質が激しかったのです) 旅館を継ぐ家長女。そこに居る料理人。 立場や役割、家の都合。 私が生まれたあと、両親は実家を出ました。 かけおちです。 大げさな言葉に聞こえるかも知れませんが、実際には、身一つで場所を変えなかったしかなかった、今の話だったのだと思います。 引っ越し先は、佐世保でした。 旅館のある松浦を離れ、家業からも距離を置いて、新しい生活を始めました。 私自身、その時の記憶はかすかに残ってます。ただ、この事実は、後になって、静かに聞こえてきます。 代々続いてきた家。名前が残る歴史。商売をやめない前提。 その流れから、両親は一度、外に出た。 継ぐことよりも、一緒に生きることを選んだ。 この選択は、祖川家の歴史の中では、例外だったのかもしれません。 私は、守られた家に生まれ、そのあと、その家を離れる選択の結果として育ちました。 この二つの矛盾した要素が、私の中に、同時に存在しています。 「続ける家」と「暫定決断」。 後になって振り返ってみると、私が人生の中で何度も「一度壊してから考える」ような選択をしてきた理由は、ここにあったのかもしれない。 この時点では、まだ誰も、その後に起こることは知りません。 ただ、家を出るという決断が、確かに一度、終わっていた。 ただいまは、事実として、私の人生の最初の背景になっています。

続きを読む →


SogawaShinichiro
《第5話》 私は、守られた場所から人生を始めた

《第5話》 私は、守られた場所から人生を始めた

私は、長崎県松浦市で生まれました。 ただ、覚えているのは、「最初から、守られていた」という感覚です。 実家は旅館を営んでいました。人の集まりがあり、大人の会話があり、日常の中に、いつも誰かの気配がある家でした。 私は長男、初孫でした。 それだけで、理由は十分だったのだと思います。 多くを期待されるというより、多くを与えられて育った。 叱責なかったわけではありません。障害がなかったわけでもありません。 ただ、「ここにいていい」そう言われているような空気の中で、子ども時代を過ごしました。 旅館という場所は、家庭であり、同時に仕事場でもありました。 お客さんと話す大人の姿。 ふと、立ち歩いて背中。誰かのために動くことが、当たり前の空間。 今考えれば、この環境が、私の価値観の原型だったのかもしれません。 人が集まる場所。人を迎える空間。誰かの時間を預かる仕事。 それが特別だとは思っていませんでした。ただ、そういうものだと思っていました。 長男として、初孫として、可愛がられて育った私は、同時に、少しだけ無存在でした。 守られていることを、守られていると考えないまま。 この感覚は、後に「自分はなんとかできる」という根拠のない自信につながっていきます。 それが強かった時もあれば、判断を誤らせた時もありました。 この頃の私は、まだ何も知りません。 経営も、責任も、当然ということも。 ただ、人に囲まれ、場所に守られ、当たり前のように日々を過ごしていました。 次は、その「当たり前」が少しずつ外の世界と出会い始める話です。

続きを読む →


SogawaShinichiro
《第4話 》それでも朝は来る。精神が安定しなかった日々

《第4話 》それでも朝は来る。精神が安定しなかった日々

それでも、朝は来ます。 どんな夜を過ごしても、目を閉じたままでも、外は明るくなっている。 福岡での生活が始まってから、私の精神状態は、決して安定していませんでした。 理由ははっきりしています。失ったものの大きさに、心が追いついていなかった。 昨日と同じ一日を過ごしているはずなのに、心の中では、常に揺れていました。 何もしていないのに、落ち着かない。理由もなく、胸の奥がざわつく。 集中しようとしても、考えが途中で途切れる。小さな音に、過剰に反応してしまう。 自分でも、「これはおかしいな」と思っていました。 でも、どうすればいいのかは分からない。 病名をつけたいわけでもなく、誰かに説明したいわけでもない。 ただ、自分が自分のままでいられていないその感覚だけが、はっきりとありました。 子どもたちの前では、できるだけ普通でいようとしました。 日常を壊さないこと。それが、父親としてできる最低限だと思っていたからです。 けれど、一人になると、気持ちは簡単に崩れました。 夜になると、考えなくていいことまで、次々と浮かんでくる。 何が悪かったのか。どこで間違えたのか。もう一度、やり直せるのか。 答えは出ないと分かっていても、思考は止まらない。 そんな時、なぜか、実家のことを思い出すことが増えました。 松浦の旅館。人の出入り。朝の音。台所の匂い。 特別な思い出ではありません。ただ、自分が説明されなくても存在できた場所。 子どもの頃、理由もなく守られていた空間。 精神が不安定になるほど、私は、その感覚を探していたのかもしれません。 戻りたい、というよりも、思い出せる場所が必要だった。 「自分は、どこから来たのか」それを、無意識に確認しようとしていた。 この頃の私は、まだ立ち直ろうとしていません。 前を向く準備も、できていなかった。 ただ、壊れきらないように、自分の中に残っている“原点”のようなものを探していました。 そしてその先に、避けてきた実家の時間が、再び浮かび上がってくることになります。

続きを読む →