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SogawaShinichiro
《第15話》 忙しさの裏で、家族の距離が少しずつ変わっていった。そして、電報が届いた

《第15話》 忙しさの裏で、家族の距離が少しずつ変わっていった。そして、電報が届いた

旅館とレストランが回り、売上が伸び、人の出入りが増えるにつれて、家の中の時間は、少しずつ変わっていきました。 忙しさは活気でもありましたが、同時に、家族が揃う時間を静かに削っていく。 食卓に全員が揃うことは減り、会話は、要件だけになっていく。 誰かが悪いわけではありません。ただ、止まらなかった。 商売が順調な時ほど、止まる理由はない。その前提が、家の中にも浸透していました。 私は高校を卒業し、大学へ進学しました。 家を離れ、外から実家を見るようになっても、状況は大きく変わらないように見えていました。 父は相変わらず忙しく、町のことを考え、人をまとめ、動き続けていた。 あの人は、そういう人でした。 ある日、電報が届きました。 それを見た瞬間、私は思いました。 祖父だろう。 年齢のこともあり、もし何かあるとすれば、祖父だと思った。 父ではない。父のはずがない。 そう、疑いもしませんでした。 病院へ向かう途中も、現実感はありません。 何かの手違いだ。きっと、そうだ。 そう思ったまま、病院に入りました。 そこで、父の顔を見ました。 その瞬間、足から力が抜けました。 言葉は出ず、頭も回らず、ただ、その場に崩れ落ちた。 電報の文字が、ようやく現実になる。 あれほど大きかった背中が、突然、そこに横たわっている。 親分肌で、町の中心にいて、止まらなかった人。 その人が、もう動かない。 人目を憚らず泣いたのはこの時が最初で最後でした。 その日を境に、家の中の空気は、明らかに変わりました。 忙しさで保たれていた均衡が、静かに、しかし確実に崩れ始める。 私はまだ若く、何を引き受けるべきなのかも、何が終わったのかも、分かっていませんでした。 ただ、一つだけはっきりしていた。 父の時代が、終わった。 わずか18年しか一緒にいれなかった。 そして、次に動く人間が、必要になるということだけは。

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《第14話》旅館の隣で、商売はさらに広がり、売上は頂点にあった

《第14話》旅館の隣で、商売はさらに広がり、売上は頂点にあった

旅館の改装が進む中で、実家は、一つの形に残ることを選びませんでした。 旅館だけではなく、その隣に、和風レストランを始めました。 当時はまだほっともっとやコンビニ、ファミレスも無い 時代だったので繁盛しました。 さらに、名物として鰻の蒲焼を始めました。 父は料理人です。味に対して相対しない。中途半端なものは出さない。 店だけを増やすのではなく、「覚えられる看板」を最初から作っていました。 鰻を焼く匂いが、通りに広がる。 旅館だった場所に、食事の流れがわかって、客層がなんとなく気づいていきました。 この頃、売上はピークを迎えておりました。 数字は、家の中で言葉にされることもありましたが、温かいような空気ではありません。 「回っている」「動いている」 その実感が、家全体になりました。 忙しさは多く、人の出入りは絶えず、毎日が慌ただしい。 広げた結果、数字が出ている。 今のところ論理が、疑われた周囲、成立していた時期です。 私は中学生ですが、この状況を疑問に思うことはありませんでした。 今後、「うまくいってる商売とは、こういうものものだ」みたいだと思います。 旅館があり、レストランがあり、名物があり、売上が伸びている。 商売は、広がることで強くなる。 背負うものは多いが、結果が出ていれば問題ない。 この感覚は、誰かに告げられたものではなく、成功している現場を見続けた結果自然に身につけたものでした。 この時点では、何も壊れていません。 その後、一番うまく回っていました。 だからこそ、この時代の記憶は、その後も「正解だった」という主観を長く残すことになります。

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《第13話》 借金は、特別なものではなかった

《第13話》 借金は、特別なものではなかった

  中学3年生になる頃、実家の旅館では、大きな改装工事が行われていました。 外観が変わり、中が生まれ変わり、人の思いが一気に増えました。 職人が出入りし、資材が運び込まれ、空気が常に動いている。 私はまだ子どもですが、「何か大きなことが起きている」今は、はっきりと分かっていました。 その裏で、当然のように大きな借入がありました。 ただ、かなりの金額が動いていることは、空気の家から堅実でした。父から「おれが死んだら返済頼むぞ」とまで言われていました。 でも、それを不安だと感じたことは、ほとんどありません。 それは、商売をする家にとって、当たり前の循環のように見えました。 大人たちは、真剣な顔も見せません。 私は、その空気の中で育ちました。 借入は、危険なものではありません。避けるべきものはありません。 前に進むための道具。 現状認識が、説明されることもなく、体に染み込んでいるのだと思います。 古くなればもう一度。時代が変われば変えられます。顧客が求めるなら、求めます。 そのためには、資金が必要で、資金は、借りても用意します。 この考え方は、誰かに教えられたものではありません。 毎日、目にしていた光景でした。 改装工事が進み、旅館は少しずつ新しい顔になっていきました。 それを見ながら、私は、「商売とは、こういうものなのだと」と思っていました。 無理をすること。背負うこと。進むこと。 その先にあるリスクや重さを、まだ、本当の意味では知りませんでした。 中学生の私は、借入を選択として考えたことはありません。 それは、最初から存在している前提でした。 この前提は、その後、私の判断を大きく支えることにもなり、同時に、危うさを内包することにもなります。 この時点では、まだ、何も問題は起きていません。 ただ、「居ることは当たり前」という感覚だけが、静かに、私の中に根を張っていきました。

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第12話 太鼓の向こう、町の外へ届いていた頃

第12話 太鼓の向こう、町の外へ届いていた頃

松浦太鼓は、最初から独自の形だったわけではありません。 父は、小倉祇園太鼓を基本として学び、そこから松浦太鼓を作っていきました。 型があり、リズムがあり、受け継いできた土台がある。 真似するだけなのでなく、松浦の空気に合う形になって、少しずつ整えていました。 私は、その過程を、すぐそばで一緒に太鼓を叩いてました。 先の父は、何度も人を集め、音を鳴らし続けました。 以前、松浦太鼓は、テレビにもよく取り上げられていました。 地元の話題として、町おこしの象徴として。 カメラが入り、照明が当たり、普段とは違う空気の中太鼓が鳴る。 それは、町の人たちにとっても、誇らしい出来事だったと思います。 私はというと、その場の中心の位置にいました。 父が映り、太鼓が紹介され、町の名前が呼ばれる。 ありがとう、どこか不思議な感覚がありました。 「自分の家のこと」が、「町のこと」になり、「世の中の話題」になってきました。 この感覚は、子どもながらに、強い印象に残っています。 父は、有名になったわけではないと思います。 評価されたい、目立ちたい、そういう動機ではなかった。 ただ、続けるために、広がる必要があった。 太鼓が鳴り続けるために、人が集まり続けるために。 その結果として、外の世界とつながった。 私はその様子を見ながら、一つのことを感じました。 何かを続けるには、 内にこもらず、外向き発信しないと。 外とつながり、外からも見られ、決して形を崩さない。 この感覚は、ずっと後になって、私が商売をする時、何度も思い出したことになります。 音の中にいて、人の流れを見て、父の背中を見ていた。 松浦太鼓は、私にとって文化でも、行事でもあり、「続ける姿勢」でした。

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