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SogawaShinichiro
《第23話 》走り続けていた。止まる理由がなかった

《第23話 》走り続けていた。止まる理由がなかった

北九州で美容室に関わるようになってから、私は一気に、経営の側へ振り切れました。 現場を見る。数字を見る。仕組みを作る。 頭を使えば、回せる。広げられる。 その感覚が、はっきりと手応えとしてありました。 私は、目標を一つ置きました。 実家の売上を超える。 家業を否定したいわけではありません。父の仕事を軽く見るつもりもない。 ただ、 実家を出た時に自分のやり方で、超えてやる。と思っていました。 年商、億超え。 その数字は、夢というより、通過点のように感じていました。 事業は、次々に立ち上げました。 美容室。エステ。飲食事業。周辺のビジネス。 一社、また一社。 気がつけば、会社は10社ほどになっていました。 振り返る余裕はありません。止まる理由もない。 動けば、結果が出る。結果が出れば、次に行く。 借入も、投資も、躊躇はなかった。 中学生の頃に見た、実家の拡張。改装。レストラン。名物づくり。 あの風景が、そのまま、自分の中で再生されていたのだと思います。 私は、いわゆるイケイケでした。 自信もあった。勢いもあった。周りも、それを評価してくれていた。 寝る時間は少なく、移動は多く、常に何かを考えている。 苦しいという感覚は、ほとんどありません。 むしろ、生きている実感が強かった。 経営とは、こういうものだ。 走り続け、広げ続け、結果を出し続ける。 その前提を、疑うことはありませんでした。 この頃の私は、止まることを「後退」だと思っていました。 慎重になることを、「弱さ」だと感じていました。 だから、止まらなかった。 この時点では、何も問題は起きていません。 数字は伸び、会社は増え、周囲からの評価も高い。 すべてが、 うまくいっているように見えていました。 ただ、今振り返ると、この時期には、一つだけ欠けていたものがあります。 それは、止まった時に残るものを 考える視点でした。 でも当時の私は、そんなことを考える必要がないと思っていた。 走っている限り、すべては前に進む。 そう、本気で信じていました。

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《第22話》 北九州で出会った人と、思いがけず関わることになった世界

《第22話》 北九州で出会った人と、思いがけず関わることになった世界

北九州に行った私は、しばらく、自分の立ち位置を決められませんでした。 実家を離れ、守ると決めたものを守られた現実はなかった。 そんな中で、一人の女性と出会います。 彼女は、美容師でした。 華やかな世界にいる人、という印象よりも、手を動かし続ける人、という印象の方が強かった。 朝から晩まで立ち、人と向き合い、技術で信頼を積み重ねる。 その姿は、どこか、料理人だった父や、現場を支えていた人たちと並んで見えました。 話をするうちに、私は初めて、全く違う業界の話を真正面から聞いてみます。 美容室のこと。お客さんとの距離感。技術職として生きる厳しさ。 売上だけでは測れない価値。リピートがすべてを決める世界。 その話は、旅館とホテルとは違いますが、本質は、非常に近いと感じました。 私は、美容室やエステの経営に関わります。 何かを教えるわけでも、決断をするわけでもない。 美容の世界は、感覚だけで恐縮しているようで、実はとても数字に厳しくしないとマズイ。 回転率。ゲスト。リピート率。 それらを意識しながら、同時に、「人」を相手にする。 私はその世界に、不思議な居心地の良さを感じていました。 経営でも、家業でも、過去の延長がある。 だが、人を相手にし、 現場を駆け回り、 信頼して立ち向かう仕事。 それは、私がこれまで見てきたものと、どこかで繋がっていました。 北九州でのこの時間は、再出発というより、新しい視点を手に入れる期間だったのだと思います。 そして、この出会いが、後に、私の人生と仕事の方向性を大きく変えていくことになります。 この時点では、まだ、それがどこへつながるのかはわかりません。 ただ、人生は、終わったところから別の形で続いていく。 そのことを、私は静かに理解していました。

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《第21話》研修を終えて実家に戻ったが、守れなかったものがあった

《第21話》研修を終えて実家に戻ったが、守れなかったものがあった

佐世保のホテルでの研修期間が終わり、私は実家に戻りました。 3年間、外で学び、現場を見て、自分なりに準備をしてきたつもりでした。 「これで、やっと役に立ってる」そんな思いも、正直、ありました。 しかし、現実は、すぐにその期待を裏切られました。 現場にあっても、自分の意見が求められることはない。 提案しても、結局になる前に終了します。 ちなみに、女将とは、最初から何一つかみ合いませんでした。 考え方も、判断の基準も、見ている方向も違う。 衝突は、一度や二度ではありません。 そんな中で、決定的な出来事が起きます。 女将が、料理長の中村さんをやめさせると言いました。 中村さんは、ただの従業員ではありませんでした。 父が育て、父が信頼し、父の代わりに現場を支えてきた人。 料理の技術だけでなく、仕事の姿勢や空気も含めて、父が残した財産だと思います、私は思っていました。 したがって、その判断には、どうしても納得できませんでした。 売上や効率の話ではない。感情論はない。 父が人生をかけて積み上げたものを、 簡単に切る判断だけは、 許せなかった。 私は、はっきりと反対しました。 それは現場を壊す判断だ。父の仕事を否定することになる。 そう伝えました。 しかし、話は聞き入れられませんでした。 すでに、決まっていることだった。 その瞬間、私は理解しました。 ここでは、「守るべきもの」が共有されていません。 続くとは、建物や名前を引き継ぐことはない。 人と、考え方と、積み重ねた時間を ためたことだ。 それが意識しない現場に、自分が立ち続ける意味はない。 だから私は、決めました。 中村さんを切るなら、自分も一緒に去る。 感情的な反発ではありません。意地でもありません。 父が残したものを自分の代で否定しない。 そのための、決断でした。 私は、実家を離れることになりました。 継いで決めて戻ったはずなのに、守れない場所には、居続けられなかった。 その後、私は北九州へ向かいます。 そこには、友達がいました。 そこで、何も背負わずに設置場所が必要でした。 この出来事は、その後、経営をする立場になった私の大きな軸になります。 人を切る時、効率だけで判断しない。数字の裏にある「時間」を無視しない。 父が残した財産を、自分の代で軽く扱わない。 この時、私はまだ何者でもありませんでした。 ただ、恩と縁は大事にしようとはっきりと決めました。

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《第20話 》実家に戻った私に、待っていた現実

《第20話 》実家に戻った私に、待っていた現実

実家を継ぐと決めて戻りました。 覚悟はありました。逃げなくても決めました。 でも、どうすればいいのかは、 本当に分かっていませんでした。 旅館には、日常がありました。 予約が入って、客が来て、料理が出て、掃除があり、一日が回っていく。 それでも、自分がどこに立って、何を担い、何から手を付けてもいけないのか。 それが、まったく見えなかった。 父のように、場を信じる力はない。判断の経験もない。人を引く言葉もない。 「継ぐ」と決めたのに、自分は、何もできない人間だった。 その事実が、静かに、しかし重くのしかかってきました。 母も、叔父も、私に細かい指示は出しませんでした。 期待されていたのか、様子を見られていたのか。 ただ、このまま実家にいても、中途半端な存在で終わる。 それだけは、はっきりしていました。 だから私は、外に出ることを選びました。 現場を知るために。そして、自分の立ち位置を作るために。 行き先は、佐世保のホテルでした。 営業の研修として、3年間そこで修行することになりました。 「一からやり直す」には、ちょうどいい時間でした。 ホテルの仕事は、旅館と大きさは違うけど似ていました 仕組みがあり、役割があり、数字があり、評価があります。 感覚ではなく、直感で動く。 経験ではなく、手順で進んでいきます。 私は、そこで初めて、「仕事としてのサービス」を体系的に学びました。 ビジネスとは何か。価値をどう伝えるのか。相手の立場で考えるとはどういうことか。 最初は、戸惑うことばかりでした。 音楽の世界も、実家の旅館も、違う。 でも、この矛盾こそが、必要だったのだと思います。 実家に戻った時、私に残っていた現実は、覚悟だけで、能力が伴っていない自分でした。 ただし、一度、外で学びます。 逃げるためではなく、戻るために。 佐世保での3年間は、私にとって、遠回りでも、寄り道でもありません。 後に、実家に戻って本当に向き合うための、準備期間でした。 この時の私は、まだ知りません。 この3年間が、その後の経営人生で、何度も自分を救うことになることを。 ただ、意識せずに、前に進んでいきました。 それだけは、確かでした。

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