私の両親のことを、ここで書いておこうと思います。
母は、実家の旅館の長女でした。
父は、その旅館で働いていた料理人です。
今なら珍しい話ではないかもしれませんが、
当時としては、当面歓迎される関係ではありませんでした。
特に、祖父の反対は強かったと聞きます。
(昔の料理人は流れ物が多くて職人気質が激しかったのです)
旅館を継ぐ家長女。
そこに居る料理人。
立場や役割、家の都合。
私が生まれたあと、
両親は実家を出ました。
かけおちです。
大げさな言葉に聞こえるかも知れませんが、
実際には、
身一つで場所を変えなかったしかなかった、今の
話だったのだと思います。
引っ越し先は、佐世保でした。
旅館のある松浦を離れ、
家業からも距離を置いて、
新しい生活を始めました。
私自身、その時の記憶はかすかに残ってます。
ただ、
この事実は、後になって、
静かに聞こえてきます。
代々続いてきた家。
名前が残る歴史。
商売をやめない前提。
その流れから、
両親は一度、外に出た。
継ぐことよりも、
一緒に生きることを選んだ。
この選択は、
祖川家の歴史の中では、
例外だったのかもしれません。
私は、
守られた家に生まれ、
そのあと、
その家を離れる選択の結果として育ちました。
この二つの矛盾した要素が、
私の中に、同時に存在しています。
「続ける家」と
「暫定決断」。
後になって振り返ってみると、
私が人生の中で
何度も「一度壊してから考える」ような選択をしてきた理由は、
ここにあったのかもしれない。
この時点では、
まだ誰も、
その後に起こることは知りません。
ただ、
家を出るという決断が、
確かに一度、終わっていた。
ただいまは、
事実として、
私の人生の最初の背景になっています。