佐世保での生活は、
私にとって最初の「日常」でした。
小学2年生になる頃まで、
私は佐世保で暮らしていました。
その頃の父は、
料理人として名が知られる存在だったと聞いています。
父のもとには、
多くのお弟子さんが集まっていました。
家の中に、
大人の男たちが出入りする環境。
真剣な表情と、張り詰めた空気。
仕事の話と、技術の話。
旅館とは形が違いますが、
人が集まり、
仕事が中心にある暮らしは、
どこか実家と似ていました。
父は多くを語る人ではありませんでした。
ただ、
背中で仕事をしている人だったと思います。
包丁を握る姿。
仕込みに向かう集中した時間。
お弟子さんたちとの距離感。
子ども心に、
「仕事とは、こういうものなのかもしれない」
そんな印象を持っていた気がします。
母は、家庭を支えながら、
父の仕事を理解し、
その場を整えていました。
両親は、
家を出るという選択をしましたが、
不安定な暮らしをしていたわけではありません。
少なくとも、
幼い私の目には、
生活は落ち着いていて、
安心できるものでした。
学校に通い、
友だちがいて、
帰る家がある。
特別な出来事は、
あまり覚えていません。
ただ、
「守られていた」という感覚だけが、
はっきりと残っています。
父は、
多くの人に囲まれていました。
尊敬され、
頼られ、
人が自然と集まる。
この姿は、
後になって
私の中で一つの基準になります。
人の上に立つというより、
人の中心に立つ。
集団をまとめるというより、
場を成立させる。
この感覚は、
意識して学んだものではありません。
ただ、
子どもとして、
毎日見ていた風景でした。
佐世保での時間は、
短いものでしたが、
私の中では、
一つの完成した世界として残っています。
このあと、
私は再び松浦へ戻ることになります。
守られていた場所から、
「家の歴史」と再び向き合う場所へ。
その移動は、
当時の私には理解できないまま、
静かに起こりました。