SogawaShinichiro
《第3話》 子どもたちには見せなかった夜と、妻の泣き顔
福岡に来てからしばらくの間、私は、できるだけ普通に振る舞っていました。
子どもたちの前では、言葉を選び、声の調子を変え、余計な沈黙を作らないようにしていた。
彼らには、事情をすべて理解する必要はない。いや、理解させてはいけないと思っていました。
何を失ったのか。どこまで追い詰められていたのか。これからどうなるのか。
そういうものは、大人が背負えばいい。
子どもたちは、学校に行き、友だちと話し、日常を続けていればいい。
そう思っていました。
でも、夜になると、話は別でした。
子どもたちが眠ったあと、部屋の明かりを落とし、一日の終わりがやってくる。
その時間になると、私の中で、押さえていたものが静かに動き出す。
答えの出ない問い。取り返しのつかない判断。数字として積み上がる現実。
頭の中では、何度も同じ場面を繰り返していました。
もし、あの時。もし、あの判断をしていなければ。
どれだけ考えても、何も変わらないことは分かっているのに、止められなかった。
そんな夜、妻の泣き顔を、何度も見ました。
声を上げて泣くわけではありません。嗚咽をこらえ、静かに涙を流す。
子どもたちに聞こえないように。気づかれないように。
その姿は、今でもはっきり覚えています。
私は、言葉をかけることができませんでした。
慰める言葉も、希望を語る言葉も、どちらも、その時の自分には嘘になる気がした。
だから、ただ、そこにいました。
何もできず、何も言えず、同じ空間で、同じ時間を過ごす。
夫として、父親として、何も与えられない自分。
この感覚は、経営での失敗とは、まったく別の重さでした。
子どもたちは、その苦悩を知りません。
知らなくていいと思っています。
ただ、一人だけ、すべてを分かっていた人がいた。
それが、妻でした。
一緒に失い、一緒に移り、一緒に耐えていた。
あの時間がなければ、私は、今ここに立っていないと思います。
立ち直ったわけではありません。乗り越えたとも言えません。
ただ、崩れきらずに、踏みとどまった。
その理由は、誰かに支えられたというより、一緒に沈んでくれる人がいたそれだけだったのかもしれません。
SogawaShinichiro
2025年12月18日
《第2話》北九州で、すべてを失ったあとに残ったもの
北九州にあったものは、すべてなくなりました。
自宅も、車も、店舗も、不動産も。
長い時間をかけて積み上げてきたものが、一つずつではなく、一気に手を離れていったという感覚でした。
抵抗できなかったわけではありません。何もしなかったわけでもありません。
ただ、結果として、何一つ残らなかった。
その事実だけが、はっきりと残りました。
北九州という場所には、仕事の記憶も、判断の記憶も、誇りだった時間もありました。
同時に、失敗の痕跡も、後悔も、戻れない選択も詰まっていた。
だからこそ、そこに留まる理由は、もうありませんでした。
私たちは、福岡へ引っ越しました。
前向きな決断だったとは言えません。再スタートという言葉を使うには、あまりにも現実的でした。
ここを離れなければ、 前に進めない。
それだけの判断です。
引っ越し当初は、生活を整えることで精一杯でした。
段ボールの山。最低限の家具。見慣れない景色。
過去の話をすることも、未来の話をすることも、どちらもできない時間。
それでも、家族はそこにいました。
二人の息子がいて、同じ屋根の下で、同じ夜を過ごしていた。
何も持っていなくても、「一緒にいる」という事実だけは、失われていなかった。
北九州で失ったものは、目に見えるものばかりです。
信用も、肩書きも、立場も。
それらが剥がれ落ちたあとに、残ったのは、逃げられない現実と、家族だけでした。
この時、私はまだ、立ち直ろうとはしていません。
希望も、展望も、語れる状態ではなかった。
ただ、終わらせきれなかった。
終わらせてしまうには、背負っているものが、まだ残っていた。
福岡での生活は、そうして始まりました。
何かを始めるためではなく、終わらなかった人生を、 続けるために。
(写真は福岡に引っ越した初日の寝顔です)
SogawaShinichiro
2025年12月17日
《第1話》7億8千万の負債を抱えた日、私は「答え」を探すのをやめた
私は30年近く、会社を経営してきました。順調な時期もあれば、思わない時期もありました。一応、山も谷もある経営人生です。
実は9年前に詐欺に遭いました。結果として、総額7億8千万という負債を抱え、会社は破産、倒産しました。
当時の私にとっては、毎日が「現実」でした。
何をどうすればいいのか。誰を信じればいいのか。まず、もう一度立ち上がる意味があるのか。
答えを探しました。でも、ある時、気づきました。
答えを探している限り、前には進まないと。
何か明確な解決策があったわけではありません。ただ、これ以上、自分を追い詰めるのをやめようと思いました。
立ち直ろうともしていませんでした。再起しようという言葉も、正直、空虚に感じていました。
一日だけを終えて、また一日を。
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