福岡に来てからしばらくの間、
私は、できるだけ普通に振る舞っていました。
子どもたちの前では、
言葉を選び、
声の調子を変え、
余計な沈黙を作らないようにしていた。
彼らには、
事情をすべて理解する必要はない。
いや、理解させてはいけないと思っていました。
何を失ったのか。
どこまで追い詰められていたのか。
これからどうなるのか。
そういうものは、
大人が背負えばいい。
子どもたちは、
学校に行き、
友だちと話し、
日常を続けていればいい。
そう思っていました。
でも、
夜になると、
話は別でした。
子どもたちが眠ったあと、
部屋の明かりを落とし、
一日の終わりがやってくる。
その時間になると、
私の中で、
押さえていたものが静かに動き出す。
答えの出ない問い。
取り返しのつかない判断。
数字として積み上がる現実。
頭の中では、
何度も同じ場面を繰り返していました。
もし、あの時。
もし、あの判断をしていなければ。
どれだけ考えても、
何も変わらないことは分かっているのに、
止められなかった。
そんな夜、
妻の泣き顔を、
何度も見ました。
声を上げて泣くわけではありません。
嗚咽をこらえ、
静かに涙を流す。
子どもたちに聞こえないように。
気づかれないように。
その姿は、
今でもはっきり覚えています。
私は、
言葉をかけることができませんでした。
慰める言葉も、
希望を語る言葉も、
どちらも、
その時の自分には嘘になる気がした。
だから、
ただ、そこにいました。
何もできず、
何も言えず、
同じ空間で、
同じ時間を過ごす。
夫として、
父親として、
何も与えられない自分。
この感覚は、
経営での失敗とは、
まったく別の重さでした。
子どもたちは、
その苦悩を知りません。
知らなくていいと思っています。
ただ、
一人だけ、
すべてを分かっていた人がいた。
それが、
妻でした。
一緒に失い、
一緒に移り、
一緒に耐えていた。
あの時間がなければ、
私は、
今ここに立っていないと思います。
立ち直ったわけではありません。
乗り越えたとも言えません。
ただ、
崩れきらずに、
踏みとどまった。
その理由は、
誰かに支えられたというより、
一緒に沈んでくれる人がいた
それだけだったのかもしれません。