中学3年生になる頃、
実家の旅館では、
大きな改装工事が行われていました。
外観が変わり、
中が生まれ変わり、
人の思いが一気に増えました。
職人が出入りし、
資材が運び込まれ、
空気が常に動いている。
私はまだ子どもですが、
「何か大きなことが起きている」
今は、はっきりと分かっていました。
その裏で、
当然のように
大きな借入がありました。
ただ、かなりの金額が動いていることは、
空気の家から堅実でした。
父から「おれが死んだら返済頼むぞ」とまで言われていました。
でも、
それを不安だと感じたことは、
ほとんどありません。
それは、
商売をする家にとって、
当たり前の循環のように見えました。
大人たちは、
真剣な顔も見せません。
私は、
その空気の中で育ちました。
借入は、
危険なものではありません。
避けるべきものはありません。
前に進むための道具。
現状認識が、
説明されることもなく、
体に染み込んでいるのだと思います。
古くなればもう一度。
時代が変われば変えられます。
顧客が求めるなら、求めます。
そのためには、
資金が必要で、
資金は、借りても用意します。
この考え方は、
誰かに教えられたものではありません。
毎日、
目にしていた光景でした。
改装工事が進み、
旅館は少しずつ
新しい顔になっていきました。
それを見ながら、
私は、
「商売とは、こういうものなのだと」
と思っていました。
無理をすること。
背負うこと。
進むこと。
その先にある
リスクや重さを、
まだ、
本当の意味では知りませんでした。
中学生の私は、
借入を
選択として考えたことはありません。
それは、
最初から存在している前提でした。
この前提は、
その後、
私の判断を
大きく支えることにもなり、
同時に、
危うさを内包することにもなります。
この時点では、
まだ、
何も問題は起きていません。
ただ、
「居ることは当たり前」
という感覚だけが、
静かに、
私の中に根を張っていきました。