松浦に戻ってから、
私は父の別の顔を見るようになりました。
料理人としての父ではなく、
経営者としての父です。
父は、
松浦市のために、
町おこしに力を入れていました。
誰かに指示されて動く人ではありません。
自然と人が集まり、
気づけば中心にいる。
一方、
リーダータイプの人間だそうです。
ただ、判断が早く、腹が据わっていて、
人が安心してついていける。
親分肌、
という言葉が一番近いかもしれません。
父の周りには、
いつも人がいました。
相談を持ちかける人。
一緒に動く人。
背中を預ける人。
父は多くを語りません。
でも、
一度決めたことは、
簡単には曲げませんでした。
その一つが、
松浦太鼓でした。
何もないところから、
人を集め、
音を作り、
場を作る。
太鼓の進む鳴ると、
町が少しだけ、
前を向く。
父は、
その中心に立ちながら、
主体的になろうはしませんでした。
続く形を作り、
次の世代に残します。
その姿を、
私は少し離れた場所から見ていました。
今後といえば、
あこがれていました。
町の中で信頼され、
人に頼られ、
誰かのために動ける大人。
「こういう男になりたい」
そう思っていたと思います。
言葉にした記憶はありません。
ただ、
目で追っていました。
この父の背中は、
後になって、
私の中で一つの基準になります。
人の上に立つというより、
人の中心に立つ。
コマンドするのではなく、
流れを作ります。
この感覚は、
経営を始めてからも、
何度も顔を出します。
良い時も、
悪い時も。
父は、
町のために動く人でした。
そして私は、
その背中を見ながら育った。
それで
十分だったと思います。