松浦太鼓は、
最初から独自の形だったわけではありません。
父は、
小倉祇園太鼓を基本として学び、
そこから松浦太鼓を作っていきました。
型があり、
リズムがあり、
受け継いできた土台がある。
真似するだけなのでなく、
松浦の空気に合う形になって、
少しずつ整えていました。
私は、
その過程を、
すぐそばで一緒に太鼓を叩いてました。
先の父は、
何度も人を集め、
音を鳴らし
続けました。
以前、
松浦太鼓は、
テレビにもよく取り上げられていました。
地元の話題として、
町おこしの象徴として。
カメラが入り、
照明が当たり、
普段とは違う空気の中太鼓が鳴る。
それは、
町の人たちにとっても、
誇らしい出来事だったと思います。
私はというと、
その場の中心の位置にいました。
父が映り、
太鼓が紹介され、
町の名前が呼ばれる。
ありがとう、
どこか不思議な感覚がありました。
「自分の家のこと」が、
「町のこと」になり、
「世の中の話題」になってきました。
この感覚は、
子どもながらに、
強い印象に残っています。
父は、
有名になったわけではないと思います。
評価されたい、
目立ちたい、
そういう動機ではなかった。
ただ、
続けるために、
広がる必要があった。
太鼓が鳴り続けるために、
人が集まり続けるために。
その結果として、
外の世界とつながった。
私はその様子を見ながら、
一つのことを感じました。
何かを続けるには、
内にこもらず、外向き発信しないと。
外とつながり、
外からも見られ、
決して形を崩さない。
この感覚は、
ずっと後になって、
私が商売をする時、
何度も思い出したことになります。
音の中にいて、
人の流れを見て、
父の背中を見ていた。
松浦太鼓は、
私にとって
文化でも、行事でもあり、
「続ける姿勢」でした。